物置の隅で、大きな袋に入っている、柄がオレンジ色の剪定バサミを発見した。半ば錆び付いているが、まだまだ使えそう。しかも30丁くらい入っている。なんとなく見覚えがある。しかも、家庭用に使うにはなぜか数が多めだ。
程なくして「ああ、子どもの頃手伝いをしていた、みかん狩りツアーの時に使った余りか」と思い当たった。
私の祖父は島の観光誘致を色々とやっていた。そんな中の一つに「農家を対象にした島でのみかん狩りツアー」があった。1980年代のことだ。
備中、備後の農村から白石島へやって来て、みかん狩りをして、地引網をして、魚を食べるという日帰りツアーだ。
手伝いに駆り出され「このハサミを一人ずつ渡せ」と言われ、黙々とハサミを手渡していたのを憶えている。ハサミを渡しながら「この人達は農家なのに、畑に生えているものを取りに来てうれしいのだろうか?」と考えていた。この頃は、地域によって植生が違うなんてことは全然知らなかった。
何年か、この仕事を手伝っていたのだが、ある時からパタリと仕事無くなった。その時はあまり気にならなかったのだけれど、物置でハサミを発見してから「なぜみかん狩りツアーは無くなったのだろう?」と考え始めた。
断片的な記憶をつなぎあわせたり、それを知っている人に取材に行ったりもした。こういう地元でのフィールドワークを、仕事のついでに行えるのは自分の強みかもしれない。
そんなことを考えながら、色々と情報を集めた。
何回か手伝った後に、みかん畑を貸してくれた叔父さんが「意外とみかん畑も荒れるからもうやめたい」と言ってきたのを憶えている。母に聞くと「ああ、あの仕事はよかった。夏以外でたくさん人が来て、土産物も売れたしなぁ」と、良い部分は憶えていたのだが、なぜなくなったのかまでは憶えていない。
そして「そういえば」と、父が憶えていたことを色々と教えてくれた。それは、仕事の発生と消滅を
・とある、農耕機具メーカーが、農家向けに販売する商品の販促のアイデアを探していた。
・たまたま、祖父にその話が回ってきて、島へのツアーを提案。
・農家の人も喜んで、結果農耕機具も売れたらしい。
・しかし、独占禁止法違反か何かで指導が入ってから、そういうインセンティブの付け方ができなくなった。
・結果、みかん狩りツアーは消滅した。
というものだ。なるほど。独禁法というか、不当競争防止法?って気もするが、大体の流れは理解できた。流れは理解できたけど、これは一体なんだったのだろうか? と、更に興味が湧いてきた。
農耕機具メーカーは、なんでそんなインセンティブを付けようとと思ったのだろう。それは、他社との競争だろう。その競争の末に獲得するのは、農耕機具の注文だ。
旅行がインセンティブに付くくらいの商品をポンポン買えるほど農家は儲かっていたのだろうか? 一次産業の設備投資なので、補助金があったんじゃないだろうか? そう考えると、農家の設備投資に補助金が出るから、メーカーは高額な農耕機具を低いリスクで作ることができ、インセンティブに旅行をつけたので、離島の観光業も売上をあげた。
なるほど。これが経済で言うところの乗数効果というものか。その波及効果を獲得できるような位置に、かつての白石島はあったのだ。
あー、でもなぁ。一次産業の経営で問題に挙げられがちなのが、補助金ありきの過剰な設備投資だったりするんだよなぁ。
日本の「ものづくり」のいくらくらいが、こういった経営的に問題のある設備投資に支えられていたのだろうか?
これから先、仮に景気がよくなったとしても、その波及効果をつかめるような位置に、自分たちはいるのだろうか?
そう考えると、なんだか新しい課題を発見したような気分になる。自分は祖父のように、転がっているモノを拾うことができるのだろうかなぁ。