祖父の教え「貧乏人はタダ働きすべし」

昭和30年代の海の風景in白石島

自分が大学生の時に亡くなったのだが、うちの祖父は面白い人だった。今でこそ、地域活性化なんて言葉があちこちで使われているが、戦後間もない頃から島で様々な仕事をしてきた人だ。

夏場の観光客が増えた頃には、頼母子講で資金調達して布団を買い、自分の家を貸して民宿をしていた。旅館業法ができる以前の話だけれども。

そして、浜辺の近くに家を持っている人たちにノウハウを教えて、民宿や海の家をプロデュースしていった。

昭和30年代の海の風景in白石島

本人は自分のことを語ることはなかったけど、島に帰ってきて、引退した民宿の女将さんが教えてくれた。

「お前の家は、広いし海の近くにあるから、民宿をしよう」

と言ってきたらしい。

そんな祖父の普段の言動や、仕事を子どもの頃から見てきた。子どもの頃はなんとも思わなかったが、祖父が普段の生活の中でボソっと呟いていたことが、本人にとってはかなりの確信が伴っていたり、悔しかったりしたことだったのだなぁと、今になって実感している。

その中に「貧乏人はな、タダ働きしたらええ」というものがある。

それを聞いた時、自分は小学生だったのだけれど「うちの祖父は頭のおかしい人だなぁ。そんなことしたら死んでしまうじゃないか」と思っていたが、自分で仕事をするようになって「なるほど。タダ働きかくあるべし」と膝を打つようになった。

以下は、「貧乏人はタダ働きをすべし」を、自分なりに解釈したものである。

貧乏人とは新規参入者のことであり、その実力を知る人もいないので、お金を出して仕事をさせようという人もいない。

ボランティアなり、地域の会議なり、参加できるものには参加して、バンバン仕事をこなす。

「面白いなぁ」とか「こういう仕事ができるのかぁ」と周りの人が理解しだすと、自然と様々な仕事が来るようになる。

まあ、無限にタダ働きができるわけではないので、どこかでマネタイズすることが必要になるけど。

もちろん、大変だし、その過程で色々嫌な目にも会うし、失敗もする。でも、自分で資本を入れた仕事で失敗すると、資本を失うわけだし。そう思うと、低リスクで、良い経験が積めると言えなくもない。

経験の中で自分が一番ためになったなぁと感じるのは、他人の都合がわかるようになることだ。特に自分が経験したことがない業界の都合。仕事の上ではどっかで繋がっているだろうけれど、想像できないようなところの情報が手に入ると、思考の幅が増えて、見積もり力が上がって、何をするにしてもやりやすくなると感じている。

どこかで「自分の仕事に値段を付けられる」ようになったら、とりあえず一つ成功。値付けは難しいものだけれど、値段を付けるのが上手な人は、みんな楽しそうに仕事をしているように見える。

さて、そうやってお金を儲けていって、自分が貧乏人じゃなくなったらどうするのか?
今度は自分が人にお金を支払って仕事を頼む側になるのだろうか。そうなると、支払うお金を用意しないといけなくなる。ますますタダ働きはできなくなる。

自分ができるうちに、楽しく無理のないタダ働きを経験するのは、いい経験になるんじゃないだろうか。

書き手:
天野直(@sunamn) 瀬戸内海の白石島(人口六百数十人の逆境集落)で仕事してます。 主に桟橋を管理しながら生きています。最近は野菜の仲買なども。
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