個と個のコミュニケーションを大事にした宿泊施設について考えてみると、例としてゲストハウスがあげられるかもしれません。
あくまでも私の感覚ですが、ゲストハウス(というより欧米ではホステル、オセアニアではバックパッカーズという方がしっくりきますが)は海外で旅をする際に使うものという印象が強く、日本国内では認知度は低かった気がします。
そして5年ほど前までは日本国内のゲストハウスというと沖縄、東京、京都、北海道など外国人を含むある程度の観光客数が見込める都市がほとんどでした。それがここ数年では長崎、熊本、岡山、香川、姫路、奈良、山梨、仙台など地方でもスタート。私自身も長野でゲストハウス1166バックパッカーズをオープンして1年半が経とうとしています。
価格帯はビジネスホテルなどと比べると安価で、本州では相部屋素泊まりで1泊2000円~3000円ほどが相場。この価格帯はもちろん長期的に旅行をしている人々にとってはうれしい価格だと思いますが、宿泊者の多くはそれが最重要事項というわけではなさそうです。
昨夜、スイス人ゲストが共有スペースで他の初めて会ったゲスト勢と熱く語っていたのが、「僕らは安いという理由でゲストハウスに泊まるんじゃない。ここは新しい人との出会いがあり、またガイドブックには載っていないローカルの情報がある、あたたかい場所なんだ」と。
少し話しはそれますが、“ゲストハウス”とGoogleなどで検索すると、長期的に滞在できる宿泊施設も出てきます。これは旅人が短期的に泊まるための宿と区別するため“シェアハウス”と呼ばれることもありますが、“個と個のコミュニケーションを大事にした”、という点では共通しています。
一昔前でしたら、人と住居をシェアするというと、何かしらの我慢を強いられながらも安価という理由から利用する人が大半だったと思いますが、ここ数年では血縁関係のないいわば他人である人と場所や時間を共有するため、あえて選ぶ人たちも増えてきているようです。
そして新しい宿泊の形として日本でも徐々にシェアが拡大されつつあるのが“カウチサーフィン”。

アメリカで2000年に始まったこの制度は、海外旅行などを旅する人が他人の家に宿泊させてもらう(カウチ=ソファをサーフ=波乗りするように渡り歩く)制度で、金銭的なやり取りはなく相互的な思いやりや信頼関係によって成り立っています。
1166バックパッカーズを出発するフランス人ゲストに次の目的地を訪ねると、新潟の小さな町の名前があがりました。そこへ行く理由を聞くと、「カウチサーフィンのホスト(住居提供者)がいるから」。この形態ですと資金をかけて宿としての場所を構える必要なく、その分稼働率も気にしなくていい。
大都市、地方都市関係なく、国内どこに住んでいても“少し外に開けた場所”として人を受け入れることができ、住居提供側(ホスト)と宿泊先を探している側(カウチサーファー)ともに新たな出会いを楽しめます。
外に開くということを考えたとき、アサダワタル氏の提唱する“住み開き(すみびらき)”という言葉を思い出されるかたもいらっしゃるかもしれません。
アサダ氏の公式ホームページから引用すると、 “「住み開き(すみびらき)」とは、自宅を代表としたプライベートな生活空間、もしくは個人事務所などを、本来の用途以外のクリエイティブな手法で、セミパブリックなスペースとして開放している活動、もしくはその拠点のこと”。
こういった環境をわかりやすく表現するためにつくられた最近の言葉ですが、カウチサーフィンもその代表例だと思います。
ちなみに比較的“都会”の部類に入る兵庫県尼崎市出身の私が長野に来て感じるのは、地方のコミュニティには地域の人が無断で家にあがってくるようなメンタリティが元来都会よりも強いということです。
春になると“住み開き”なんて言葉を知らないであろうおばあちゃんたちが軒先に出した椅子でひなたぼっこをしながら、「うちに寄ってお茶飲んでってよー」と観光客に声をかけてくれるのが、私の住む長野市西町のいいところだったりするのです。